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←【ザビエル公園・ザビエル教会】→


1549年、イスパニアの宣教師
フランシスコ・ザビエルは
鹿児島・祇園之洲に上陸。
約1年を鹿児島で
過ごした ザビエルは、
日本にキリスト教をはじめ、
さまざまな異文化を伝えた。

明治時代に日本最初の
仏和辞典を作成した
ラゲ神父が、ザビエルの
功績を讃えて建てた
ザビエル教会は
第2次世界大戦で焼失したが、
その石造りの旧聖堂の
一部とザビエルの胸像が
ザビエル公園内に
残されている。
1949年にはザビエル渡来400年
を記念してローマ法皇の
寄付をもとに近代ゴシック建築の
教会堂が再建され、
平成11年には溝口守一氏
によりザビエルと薩摩人ヤジロウ
、ベルナルドの3人の、
等身大の像が制作された。


←【維新ふるさと館】


甲突川河畔にある
維新ふるさと館は、
幕末から明治維新に活躍した
西郷隆盛や大久保利通などの
生誕地であり、
"維新のふるさと"とも言える
加治屋町に位置している。

近代日本の原動力となった
鹿児島の歴史や先人たちの偉業などを、
映像・ジオラマ(模型)・ロボットなど
ハイテク技術を使った多彩な
展示・演出によって、
楽しく分かりやすく紹介している。

目玉は、地下1階の維新体感ホールで
上映されるドラマ「維新への道」。
西郷隆盛や大久保利通などにそっくりな
等身大ロボットやマルチスクリーンにより
臨場感あふれるダイナミックな
ドラマが展開される。

←【西郷隆盛誕生地】
【若き薩摩の群像】→

1865年、薩摩藩が
ひそかに派遣した
英国留学生たちの像 。
一行の留学体験は、
後の日本近代化に
大きく生かされることとなった。

大久保利通銅像】→

明治の風にフロックコートを
ひるがえす、大久保利通の
モニュメントです 。
西郷隆盛、木戸孝允と並び
明治維新の3傑と言われた人物で、
明治政府の中心的役割を果たした。

銅像は、没後100年を記念して
1979年に中村晋也氏によって
制作された。

←【西郷隆盛銅像】

江戸城無血開城や
明治新政府樹立など
明治維新に最大の功績を残した
「西郷どん」だが、
征韓論に敗れ下野。
その後、西南戦争で
新政府軍と戦い敗北し、
この城山の地で自刀した。
没後50年祭記念として
鹿児島市出身の彫刻家で
渋谷の「忠犬ハチ公」の
制作者・安藤照が8年をかけ製作し、
昭和12年(1937年)に
銅像が完成しました。
わが国初の陸軍大将の制服姿で、
城山を背景に仁王立ちする
高さ8mの堂々たるモニュメント。
←【西郷隆盛終焉の地】

明治10年の西南戦争において
追いつめられた薩軍は、
西郷隆盛をはじめ、
この洞窟を本陣として
立てこもります。 
城山登山道の途中にあります。
【薩摩義士碑】→

木曽三川治水工事で
殉じた平田靭負(ゆきえ)他、
多くの霊を祀っています。
【照国神社】→

城山の麓にある
島津家28代斉彬公を祀る神社で、
夏の六月灯や初詣には
大勢の参拝客が訪れます。
島津斉彬公は、
勝海舟をして「幕末第一等の英主」
といわしめた名君で、
西郷隆盛、大久保利通を登用し、
幕末日本を開国の方向に
導いた人物。
集成館と呼ばれる工場群を整備し、
造船にも力を注ぎ、
わが国最初の洋式帆船「いろは丸」
や蒸気船を完成させた。
【鶴丸城跡】

苔むした石垣とお濠の蓮が
鶴丸城の面影を今に伝えます。
お城は、天守閣を持たない
屋形造りだったといいます。
【西郷南洲顕彰館】

西郷隆盛にまつわる
様々な遺品が展示してあります。
維新を成し遂げた英傑の
心にふれてみよう。
【私学校跡】→

征韓論に破れて
鹿児島に帰った
西郷隆盛が創設した
学校の跡です。
【南洲墓地】→

南洲公園の隣に位置する
南洲墓地には
西南戦争における戦没者を
祀っており、
西郷隆盛のお墓をぐるりと
多くの兵士たちの
お墓が囲んでいます。
【みなと大通り公園】

市役所から本港へ続く
「みなと大通り公園」は、
街路樹と噴水とオブジェが
織り成す都市のオアシス空間。

特にクリスマスの季節には、
木々はイルミネーションで飾られ、
ライトアップされたオブジェが
夜空に浮かび上がって、
ドラマティックな世界を創りだす。


←【天文館石碑】

鹿児島最大の繁華街
天文館通りの名は、
ヨーロッパ文明を進んで取り入れた
島津重豪公が、
1779年に天文観測や
暦の作成などを行う施設
「明時館(別名天文館)」を
建てた場所にちなんでいます。
この暦はさつま暦と呼ばれ、
適時適作により
農産物の増産をはかろうとしたもの
でした。
アーケード内には
郷土料理店やみやげもの店をはじめ
カフェやレストラン、ブティックなどが
立ち並んでおり、
南九州一おしゃれな街として
人気のスポットです。